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9月 「報謝」-はげみます-

「報謝」-はげみます-

私たちは、他の人からものをもらったり、親切にしてもらったりした時には「有り難うございます」と、お礼の言葉をいいます。この「有り難う」という言葉は、「そう有ることが難しい」、言い換えると「当たり前ではない」ということで、それらのものや行為を頂くような自分ではないことを深く反省した中から湧き上がる、感謝の気持ちを表したものです。それ故にまた私たちは、お礼の言葉として「すみません」と言う言葉を口にすることも、しばしばあります。

「報謝」という言葉は、「報恩感謝」を簡略化したもので、頂いたご恩に対して感謝して報いるという意味です。この場合、単に人に対してだけお礼をするのではなく、自らを取り巻くあらゆるものに対して感謝の念を抱き、そのご恩に積極的に報いようとする姿勢と、そこから溢れ出る言動のすべてをこの思いは含んでいます。したがって、そこには言葉を持っていない「もの」に対しても、まるで生きている人に向かっているかのように「ありがとう」や「すみません」という思いや、心を通わせ尊重して行こうとする態度が見られたりするのです。

「おかげさま」と、周囲の人やものに対して感謝して生きる毎日。そこにこそ明るい生活があり、「もの」にまで報いていこうとするところに、すべてのものを最高度に生かし、伸ばして行こうとする創造性も芽生えていくことと思われます。

幼児期の子ども達には、草花や昆虫あるいは小動物とおしゃべりをしている姿がよく見られます。これは大人になること、具体的には現実的な科学観を習得することと引き換えに、いつしか失くしてしまうことになる、原始感覚とでも言い表すべき美しい心性に基づく態度ですが、生きものを分け隔てせず自然と一体となるところから、あらゆる「もの」に対する感謝の心も湧いてきます。

実は、このような「心性」は、既にして誰もが生まれながらに備えているのですが、幼児期において大切に育むことによって初めて定着するものなのです。したがって、動物や植物と心を通い合わせたり、語り合うことの出来る美しい心性を大切に育み定着させることは、「人間」としての成長を遂げて行く上で、幼児期における保育の重要な課題の一つであるとさえ言い得ます。

この自分のいのちがあることは決して当たり前のことではなく、多くの海の大地の無数の生きもののいのちによって「生かされている私」であること、そして自分のために失われていった多くのいのちに願われて生きていることを知ることを通して、子ども達の心に「報謝」の思いが美しく花開き、どんな困難があっても生きる勇気を持てるような保育を目指したいと思います